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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)4467号 判決 1977年11月30日

原告 甲山菊子

被告 乙川太郎 〔人名仮名〕

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(当事者の申立)

原告

被告は原告に対し五〇〇万円とこれに対する昭和四九年一月一日以降その支払いがすむまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。との判決と仮執行の宣言を求める。

被告

請求棄却、訴訟費用は原告の負担との判決を求める。

(当事者の主張)

原告主張の「請求原因事実」および「被告の主張事実に対する認否」並びに被告の「請求原告事実に対する認否および主張」はいずれも別紙記載のとおりである。

原告は甲第一、二号証を提出し、被告は甲号証の成立をいずれも認めた。

理由

請求原因事実中、被告と亡甲山良子が昭和四七年八月ころから昭和四八年五月末日ころまで同棲していたこと、その後被告が亡良子以外の女性と結婚したこと、亡良子が同年一〇月一二日午前一〇時に死亡したことは被告もこれを認めるところであるが、請求原因事実中その余の事実、特に被告と良子が結婚を約束していたこと、亡良子が被告との結婚ができなくなつたために死亡(自殺)したことの各事実についてはすべて被告が争つているところ、原告は何らこれらの点について立証しないのでこれを認めるに足りる証拠がない。

よつて、原告の請求はこれを認容することができないものとして棄却し、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

なお、本件においては、最初に口頭弁論をなすべき期日(昭和四九年九月一七日午前一〇時の第二回口頭弁論期日)において原告不出頭のため訴状を陳述したものとみなして手続が進行されたが、その後第一〇回口頭弁論期日までの八回の口頭弁論期日のうち六回にわたり休止を繰り返し、うち二回は被告が出頭したが原告が出頭しないため被告において弁論をなさず退廷したものであり、その間原告は一度も出頭しなかつたばかりでなく期日変更申請をなしたこともなく、その余の二回の期日も当事者双方不出頭のまま延期され、その間原告からは昭和五一年八月五日に、被告の主張に対する認否を記載した同日付の準備書面が提出されたのみであつた。当裁判所において原告訴訟代理人に対し証拠の提出等を促した結果、原告訴訟代理人は、第一一回口頭弁論期日に出頭し、前記準備書面に基いて陳述したほか甲第一、二号証(戸籍謄本)を提出し、証人丙村松子ほか一名、原告本人の各尋問を求め、その旨の申請書を提出した(但し、いずれも尋問事項書の提出はない)ので、当裁判所は右証人丙村を採用したうえ期日を昭和五二年一〇月一二日午後一時と指定し、原告訴訟代理人は同期日に右証人を同行し在廷させることを約束した。ところが、右指定した期日に原告訴訟代理人は出頭せず期日変更申請等何らの連絡もないばかりでなく、右尋問事項書の提出もしないし、右証人を出頭させることもしなかつた。

以上の経過は本件記録上明らかな事実および当裁判所に顕著な事実である。

以上の経過に照らすと、原告訴訟代理人は、本件につき真摯にこれを遂行して、その請求にかかる権利の実現を図る意思がないというのほかない。

よつて本件は原告不出頭のまま弁論を終結して判決するに至つたものである。

(裁判官 川上正俊)

(別紙)

請求の原因

一 原告および亡訴外良子

(一) 訴外甲山良子は父訴外亡甲山一郎(昭和四四年五月三〇日死亡)および母原告の長女として東京都○○区△△×丁目××番地の本籍において昭和二六年七月七日出生した。右両者の間にはその後昭和二七年に長男二郎、昭和三〇年に次女夏子がそれぞれ出生した。

(二) 訴外亡良子は昭和四五年三月中央商業高等学校を卒業したのち、いくつかのクラブに勤め、昭和四六年一〇月からはクラブ「○○○」に勤めていたが、昭和四七年一二月からは訴外丙村松子および訴外丁野竹子とともにキヤフエテリヤ「○○○」を共同で経営していた。

(三) 訴外亡良子は前記高校卒業後は原告肩書地自宅から通勤していた。さらに訟外亡良子は昭和四七年六月から訴外丙村松子と西落合で共同生活し、同年八月から原告と西大久保で同棲するようになつたが、昭和四八年八月初旬自分単独で中野のコーポを賃借して生活し後記のような経緯で同年一〇月一二日午前一〇時死亡した。(甲第一号証)

二 被告

被告は昭和一八年四月一九日○○市で出生し、昭和四二年三月中央大学法学部を卒業後、株式会社○○○に勤務し、週刊「○○」のルポ・ライターとして活動して現在に至つている。その間、被告は昭和四八年一〇月一日大田梅子と婚姻している。被告の本籍は群馬県○○市△△町×丁目×××番地である。(甲第二号証)

三 婚約

(一) 前述のとおり、昭和四六年一〇月頃より訴外亡良子はクラブ「○○○」に勤めていたが、被告が同クラブに時々に飲みに来ていたところから、両人は知合うようになり次第に恋愛関係にはいつていつた。

(二) その後、右両人の関係はますます親密の度を加え、昭和四七年八月から右両人は西大久保のアパートで同棲することとなつた。同年秋、訴外亡良子は妊娠したが、同年一二月上旬妊娠中絶の手術を受けた。

右昭和四七年八月右両人が同棲するようになつた前後から遅くとも同年一二月までの間において、右両名は結婚(結婚式を挙げ婚姻届を提出すること)することを合意した。

そうして、翌四八年一月には被告は故郷である群馬県○○市に居住する両親に訴外亡良子を紹介し、前記結婚の約束を両親に報告しかつ許可を得るため、訴外亡良子を被告の両親のもとへ伴うことになつていた。

(三) 昭和四八年七月訴外亡良子は前記西大久保のアパートを出て同月初旬中野のコーポに住むようになつたが、右アパートを出て後に、妊娠していることが判明し同年八月一三日妊娠中絶の手術を受けた。しかし、その後は被告は毎日訴外亡良子を訪ね同居しているも同然であつた。

(四) 昭和四八年一〇月初旬頃訴外亡良子は被告が婚姻したらしいといううわさを聞き、被告を詰問しようと被告の家に電話したところ、女の人が電話に出て被告が婚姻したことを知つた。

被告は昭和四八年一〇月一日訴外大田梅子と婚姻している。

四 慰藉料

訴外亡良子は被告との婚約を信じ将来に明るい希望を懐いていたのであるが、被告の右婚約破棄により悲歎にくれ、深い精神的な苦痛を受け生きる希望を失い、ついに昭和四八年一〇月一二日ガス自殺をはかり、同日午前一〇時死亡した。

すなわち訴外亡良子は被告の前記婚約破棄により死ぬほどの精神的苦痛を受けたのであるから、訴外亡良子は被告に対し金五〇〇万円の慰藉料を請求する権利があるところ、既述のとおり、訴外亡良子には配偶者および子はなく父は既に死亡したので母である原告が右慰藉料請求権を相続した。

よつて、原告は被告に対し右慰藉料およびこれに対する右慰藉料請求権発生後である昭和四九年一月一日以降の民法所定の割合の損害金の支払を求めるため本訴に及んだ次第である。

請求の原因に対する認否および主張

一 一の(一)乃至(三)の中、

(1)  亡良子が昭和四七年二月当時クラブ「○○○」に勤めていたこと。

(2)  「○○○」を共同経営していたこと。

(3)  昭和四七年八月頃から同四八年五月末日頃まで亡良子が被告のアパートで同棲生活するようになつたこと。

(4)  良子が同年一〇月一二日午前一〇時死亡したこと。

は何れも認めるが、その余は不知。

二 二の事実は認める。

三 三の婚約の事実は否認する。

(一) 被告がクラブ「○○○」で亡良子と知合うようになつたことは認めるが、恋愛関係はなかつた。

(二) 亡良子が、通勤に便利だからといつて、被告のアパート(当時西大久保)へ時々泊りに来るようになつたことがきつかけになつた。

亡良子自身、当初から結婚の意思は明らかになかつたし、被告としても結婚しないことが前提合意であつた。まして、故郷の両親の許可を求めるような話は全くなかつた。

(三) (三)の事実も否認。亡良子が被告のアパートを出たのは同年五月末日頃で被告の留守中に突然出た、妊娠のことは知らない。

但し亡良子からの連絡を受け二、三度病気見舞のため訪ねたことはある。

(四) (四)の事実中、被告が主張の日時頃訴外大田と婚姻したことは認めるが、その他の事実は不知。

四 第四の主張は争う。

婚約の事実はないし、自殺の原因が被告との同棲生活でないことは断言できる。

被告の主張

一 亡良子との知合

(一) 昭和四七年二月頃上司の誘いで「○○○」に寄つたのが花子(本名は本訴まで知らなかつた)との出合である。その後被告のアパートから偶然店が近かつたこともあつて、ときどき利用するようになつた。店での花子は、客の接待がうまく生れながらのホステスのように振舞い酒に酔うと大トラの如く乱れるが、しつかりした一面と気ままな感情が同居していたようにみられた。

(二) そのうち、花子も店で度々同席するようになりママとも親しく口をきくようになつてから、「花子はナンバーワンホステスで客も多く給料も月一二、三万円とるが、生活が派手で着物の月賦におわれ、何かアルバイトをしているらしく出勤が遅れて困る何んとか落付かせたい」というぐち話も聞くようになり、その頃西落合で松子と共同生活をし週末には実家へ帰るという様子であつた。

二 同棲生活について

(一) 同年七月末日頃、仕事先の関係者二、三名と「○○○」で飲み、被告が自宅で仕事をしていると、夜中の午前一時頃花子から電話がかかり、「これから一寸行きたい」といつて、訪ねてきて、「私は自由に太く短かく生きたいの、好きなことは大いに楽しむわ、乙川さんもその心算で付合つて欲しい、その心算で来たの、これからも二人の気のむいたときに会いたい」といい出し、その晩は帰らず色々と身上話を語り合つた。そのとき、花子の話では「高校二年生のとき父親に死別しそれから生活が乱れ、一時家出し大阪方面でキヤバレー、バーなどを転々とし遊びや男性を知るようになつた。そして一度自殺を図つたが未遂に終つたこともある。「○○○」の前は「○○」というクラブに勤めていたが水商売の世界しか知らないということであつた。

(二) その後花子は八月に入つてから一週に二度位被告のアパートで宿泊するようになりそれが同棲のきつかけとなつた。それから、八月中旬頃になつて、「乙川さんに絶対迷惑はかけない。勿論、結婚する意思はないが、勤めに便利なので一時の間、合鍵を貸してほしい」といい出し、始めは断つたが再三いうので、つい合鍵を貸すことになつた。そのうち被告の留守中に自分の衣類など身の廻り品を持ち込み事実上同棲生活が始まるようになつた。

(三) 日常の生活費用(食事、家賃、電話代など)は全部被告が負担し、電話の受信は花子が絶対にとらない、その他は自由ということであつたが、同棲後一ケ月もしないうちに花子の生活は乱れ始めてきた。先ず月のうち二、三度は理由不明のまま外泊する、勤めの帰りが遅く午前四~六時になることが毎週二、三度、一二、三万円の給料は直ぐ浪費する(主に着物と洋服の乱買い)、客との夜中のつきあい、平気で借金をする、男性との多角的な交際、時間が極めてルーズ、毎日のように酒に酔つて大トラなど、そのため被告自身の生活も混乱し、半年後位いから疲れ果て再三出て行くよう話したが、応じてくれなかつた。

三 別居とその後

花子は、昭和四八年五月末日被告のアパートから転出した。直接の動機は花子の三日連続の外泊と、酒乱であつたが、話合つて転居を了解してくれた。その後同年九月末日頃突然花子から電話があって「今中野で高級マンシヨンを借りている身体の調子がよくないのでぶらぶらしている一度来て欲しい」というので、訪ねたことはある。そのとき「これは家賃が四万九千円、店の客から五〇万円借金して借りたの」といつていた。

一〇月一二日午後二時頃野方警察からの連絡で花子の自殺を知つた。警察では花子の手帳に被告の電話番号があつたので連絡したといわれ、花子との関係を説明し帰るとき霊前に花輪を送つた。

ところが翌一三日午前〇時頃、突然松子(○○○の共同経営者)と、その他三名の男女がどやどやと室に上がり込み、「花子のカンオケをかついできてやろうか、七〇〇万円の預金証書を出せ」などと、どなりまくられ、その日から毎日一〇数回電話がかかり「お前は一週間以内によくない目にあうぞ」と男性の声で脅迫がつづき、一〇月一六日午前二時頃、今度は渋谷、荒川、足立、板橋の四名が木刀をもつて「ドアを開けろ」とどなり、土足で上がり、渋谷と板橋が交互に木刀を振り廻し、「てめいなんかぶつ殺してやる、いいかげんにしろ」などとどなりちらし、「一札念書を入れろ、家族の面倒を一生みろ」などと、約一時間半位脅迫されこのことから生活に危険を感じ住居を移転せざるを得なかつた。

四 自殺の原因

はつきりしていることは、前述のように、被告との同棲ではない。推測できることは、  (1)  「○○○」の共同経営が予想より不振で、出資者の北工務店(六〇〇万円)から毎月五〇万円強制的に回収され、借金が増加するばかりで経営上の混乱があり、希望を失い生活が乱れていた(48・2項)

(2)  共同経営者の松子と仲が悪くなり、反目がたえなかつた。

(3)  多角的な男性のつきあいをやめられなかつた。

以上のかさなりから、自己抑止力を失つたことが原因と思われる。(花子から聞いた話の総合)被告としては亡き良子の霊前に弔意をあらわしたいと願つているが、前記のような暴力が振われては、そのことも不可能で今日に至つたが、本訴の如き請求を受ける理由もまた、全く身に憶へのないことである。

被告の主張事実に対する原告の認否

一 第一項「亡良子との知合」に対して

(一)の事実中被告と訴外亡良子が昭和四七年クラブ「○○○」で知つたこと、同クラブで同人が花子という名前を使つていたことは認めるがその余は否認する。

(二)の事実中昭和四七年六月から訴外亡良子が訴外丙村松子と共同生活をしていたことは認めるがその余は不知。

二 第二項「同棲生活について」に対して

(一)の事実中訴外亡良子が高校二年生のとき父親に死別したこと、同訴外人がクラブ「○○○」に勤める前はクラブ「○○」に勤めていたことは認めるがその余は不知、同訴外人は大阪万国博覧会が開催されたとき大阪の親戚のところに一週間位滞在したことはある。

(二)の事実は否認する。訴外亡良子が自分の衣類などの身の廻り品を被告宅に運び込みだしたのは昭和四七年七月からであり、被告が同訴外人に対し早く荷物を持つてこいと急がせたのである。

(三)の事実は否認する。訴外亡良子は訴外丙村松子および同丁野竹子の家に泊つたことはある。キヤフエテリヤ「○○○」の営業は午前三時ないし四時頃までしていることもあつた。

三 第三項「別居とその後」に対して

訴外良子が昭和四八年七月中野のコーポに転居したことは認めるがその余は争う。

被告は訴外亡良子が右中野のコーポを賃借するとき自分が必要な金を出そうといつていた。また当時同訴外人は当時妊娠していたので被告は同訴外人に対し妊娠したのか、一緒に中絶に行こうとも語つていた。

四 第四項「自殺の原因」に対して

全部否認する。

キヤフエテリヤ「○○○」は既述のごとく訴外亡良子、前記訴外丙村および同丁野の三人の共同経営であつたが、外部に対しては訴外亡良子が一応ママということになつていたが、同人は一番若年ではあつたがママに適すると思つたのか被告の勤めでそのようにしたのである。

訴外亡良子と訴外丙村とは口喧嘩をしたことはないとはいわないが誰もがする些細なものであつて、特に仲が悪いとか反目していたというものではない。

要するに訴外亡良子の自殺の原因は被告が同訴外人との婚約を履行せず訴外大田梅子と婚姻したことにある。同訴外人は被告の婚約不履行により死ぬほど精神的苦痛を受けたのである。

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